2015-01-15木

7時30分に起きる。どんどん怠惰になっている。
すぐに朝食の用意。昨日から溜まっている食器を洗う。一日20個の食器を使っては放置。翌朝洗うと云うパターンになっている。
牛肉、目玉焼き、キャベツ炒め。野菜ごった煮汁。ご飯。食後にグルコサミン+コンドロイチンサプリ。キューピーコーワゴールド。牛乳とコーヒー。
9時、パソコンの前にいる。在宅ワークをどうするか、と去年から考慮中。焦ってはいるんだけれど・・

夜、再編集再アップ
その予定だったけど、変わり映えしないので止める。雨も降ってきたしね。動画を四~五本観て、虚しさを紛らわした。
あ~あ。

TSエリオット、荒地の一節を思い出す。高校生の頃

四月は残酷きわまる月だ
リラの花を死んだ土から生み出し
追憶に欲情をかきまぜたり
春の雨で鈍重な草根をふるい起こすのだ。
冬は人を温かくかくまってくれた。
地面を雪で忘却の中に被い
ひからびた球根で短い生命を養い。

シュタルンベルガ・ゼー瑚の向うから
夏が夕立をつれて急に襲ってきた。
僕たちは廻廊で雨宿りをしてそれから
日が出てから公園に行って
コーヒーを飲んで一時間ほど話した。

(西脇順三郎訳)
そして僕は、鮎川信夫が大好きだった。

たとえば霧や
あらゆる階段の跫音のなかから、
遺言執行人が、ぼんやりと姿を現す。
——これがすべての始まりである。

遠い昨日……
ぼくらは暗い酒場の椅子のうえで、
ゆがんだ顔をもてあましたり
手紙の封筒を裏返すようなことがあった。
「実際は、影も、形もない?」
——死にそこなってみれば、たしかにそのとおりであった

Mよ、昨日のひややかな青空が
剃刀の刃にいつまでも残っているね。
だがぼくは、何時何処で
きみを見失ったのか忘れてしまったよ。
短かかった黄金時代——
活字の置き換えや神様ごっこ——
「それが、ぼくたちの古い処方箋だった」と呟いて……

いつも季節は秋だった、昨日も今日も、
「淋しさの中に落葉がふる」
その声は人影へ、そして街へ、
黒い鉛の道を歩みつづけてきたのだった。

埋葬の日は、言葉もなく
立会う者もなかった、
憤激も、悲哀も、不平の柔弱な椅子もなかった。
空にむかって眼をあげ
きみはただ重たい靴のなかに足をつっこんで静かに横わったのだ。
「さよなら。太陽も海も信ずるに足りない」
Mよ、地下に眠るMよ、
きみの胸の傷口は今でもまだ痛むか。

死んだ男と云う詩、このころ僕は、荒地派の詩を読み、サルトルにかぶれていた。そして深夜の劇場に焦がれていた。僕は多分、アーティストだと思っていた。